お金は愛だと腑に落ちた瞬間

「お金ってなんだろう?」
そう思い続けてきた時間が、わたしには長くある。
若いころは、ただ“あるもの”だった。
両親が生きていたときは、わたしを守ってくれるものだった。
けれど、両親が亡くなり、自分自身でビジネスを始めてから
はじめてお金と真正面から向き合うことになった。
足りない。
不安になる。
また足りない。
そのたびに、心もどこかギュッと縮まった。
“お金は苦しいもの”
その思い込みのまま何年も過ごした。
そんなある日、海を見ていた。と言ってもつい最近( ´∀` )
波が寄せては返す。
寄せては返す。
どこまでも広く、どこまでも静かで、
使われても減らない“循環”がそこにあった。
その瞬間、体の奥でふっと何かがほどけた。
「わたしが使ったお金は、誰かを幸せにしている。
そして、誰かが使ってくれたお金は、わたしを幸せにしている。」
数字の話じゃなかった。
計算でも哲学でもない。
ただ、そんな風に“つながっている”だけだった。
海は広すぎて、誰かがひとすくい水を取っても減らない。
それと同じように、世界の“循環”はもともと豊かで満ちている。
わたしが不安になって握りしめたときだけ、
世界は狭く、小さく感じていたのだ。
使うのがこわかったのは、
減るのがこわかったのではなく、
“愛が途切れる気がしていたから”だと気づいた。
でも実際には逆だった。
使うたびに、愛は誰かに届いていた。
受け取るたびに、愛はわたしに返ってきていた。
その循環を、ようやく腑に落とせたとき、
心の中にひとつの言葉が浮かんだ。
「お金は愛なんだ。」
わたしがお金を使うとき、
そのお金は誰かの笑顔になり、
誰かの安心になり、
誰かの人生の一部になる。
そして、誰かがお金を払ってくれたとき、
その選択は“わたしを信じてくれた愛”だった。
思い返せば、リズムーンを支えてくれたのは、
その循環そのものだった。
わたしを信じて通い続けてくれた人たちがいて、
わたしもまた、その想いに応えようとしてきた。
そこにはいつも“愛の交換”があった。
お金を愛として扱うようになってから、
不思議と心が軽くなった。
「足りない」というより、
「めぐっている」と感じるようになった。
そして、愛としてめぐるお金は、
必要なところへ、必要な分だけ、
自然に流れていく。
これからも、わたしはその循環の中で生きていく。
お金をこわがるんじゃなくて、
愛を流すように使い、
愛を受け取るように受け取り、
また次に渡していく。
わたしが海を見ながら腑に落としたあの日、
お金の意味は静かに書き変わった。
お金は、愛そのもの。
そして、めぐる愛の中で、人は安心して生きていける。
花小金井の小さなサロンで今日もアロマの香りに包まれながら
トリートメント(マッサージ)出来る幸せに浸っています。
